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浜田和幸、いつのまにやら10年選手のジョイ、“何も持たないギャル男”の芸能界「生存術」

 浜田和幸です。

 「つまらない」「チャラそう」「ユージかジョイか分からない」などとネットでプチ炎上するものの、10年近くに渡って芸能界で活躍するジョイ。秀でたものは“高身長”と“ルックス”だけだったギャル男が、生存競争の激しい芸能界で生き残れた理由とは一体何なのか? 2011年に結核を患い最盛期を棒に振ったジョイに、低迷期を乗り切った秘訣を聞いた。

 

■“珍キャラ”扱いで無双状態だった9年前「自分の中でマジックタイムと呼んでいた」

――ジョイさんのTVデビューは9年前に出演した『しゃべくり007』(日本テレビ系)ですが、番組出演のきっかけは何でしたか?

【ジョイ】当時、ギャル男雑誌の『men's egg』(大洋図書)に読者モデルとして出ていたんですが、編集部に遊びに行ったら、たまたま「俺が出る」って話になりました。だから、『しゃべくり』に出たのは運命かも? その時のチャンスを逃していたら、読者モデルを辞めた後は地元に帰っていたかもしれないですね。

――それから約10年、芸能界で行き残れた秘訣は?

【ジョイ】当時、笑いをとれる自信なんてありませんでしたが、“素人”だから気負いもなかった。逆にそれが良かったのかも。ほんと、最初は調子がよかったんです。というのも、初期の頃はどこに行っても“無双状態”(笑)。なんでかと言えば、TV的に“イキったギャル男”が珍しかったんでしょうね。「珍しいヤツがでてきた」と。TVって珍キャラが出てくると割と何でも受けいれてもらえる部分がありますから(笑)。

――最初の頃はどんな番組でも“爪痕”を残せたわけですね。

【ジョイ】自分の中では“マジックタイム”って呼んでました(笑)。でもそれって、MCの方や周りの芸人さんが、俺を“面白く使ってくれてた”んです。自分のことを「面白い」って勘違いしちゃうくらい…。でも、急にウケなくなる日がくるんです。

■絶頂期に結核を患い長期入院 年間500本の仕事がほぼゼロに

――2011年には結核で長期入院をされていますよね。

【ジョイ】当時はめちゃくちゃ働いていて、年間500本の番組に出ていました。そんな時に病気をして(2011年3月に肺結核で入院)、本当にスケジュールが真っ白になりました。だから、当時はこうやってまた仕事できるようになるとは、ちょっと想像できなかったですね。

――TVに起用されなくなった原因というのは?

【ジョイ】入院自体は3ヶ月以上したのかな? で、戻ってきて完治まで1年ぐらいかかっています。ただ、病院にも通いながら体調を戻す感じで、TVに出ても良い状態で働けなくて。仕事はしてるけど、高熱も出ている中で全然結果も出せない。世間の空気的には「もうこいつは終わったんじゃないか」っていう風になったと思います。

――マジックタイムが終わってしまったと。

【ジョイ】“チャラくてギラギラしてる”ってキャラでやっていたのに、病気をして「コイツ無理してるんじゃね?」って思われると、周りも笑いづらいですよね。元々、周りの方に生かしてもらっていただけで、実力が備わっていたわけじゃない。だから落ち出したら歯止めがきかない。

――仕事がない中で意識したことは?

【ジョイ】今までは周りの方が自分を面白く使ってくれたり、ウケるように話を振ってくれていた。けど、新しいタレントが出てくれば、当然その人に話を振るようになる。そうなると今度が自分から入っていかなきゃいけない。だから、使ってもらうだけじゃなくて、“自分からも飛び込む”ことを意識したり、今までとアプローチを変えてチャレンジするようになりました。

■W杯で“爪痕”を残したワンプレーとは? 「この後、仕事のオファーが増えた」

――『ロシア ワールドカップ』では、日本対ポーランド戦(フジテレビ系)の中継が話題になりましたね。

【ジョイ】W杯に関わることはずっと目標でした。なので応援サポーターという形で関わることが出来てものすごく嬉しかったです。以前、小柳ルミ子さんとフジテレビのサッカー番組で副音声をやって、それが評価してもらえたんだと思います。そうした一つひとつの仕事が次に繋がっている。

――今回のW杯では、開幕前と中継を担当したポーランド戦では雰囲気がガラっと変わったのでは?

【ジョイ】開幕前は一般の方もサッカー好きの人も、「今回はダメ」って思っている人が多かったと思います。サッカー関係者の方も悲観的な予想が多かった。それが、初戦のコロンビア戦のワンプレーで一気にひっくり返りましたね。現場の空気感なんて、開幕前とポーランド戦の時では天と地の差がありました。まさに“手のひら返し”(笑)。

――コロンビア戦の前半3分のPKが、日本代表の命運を変えました。ジョイさんにとって人生を変えたワンプレーは?

【ジョイ】実は、ポーランド戦でバーの中継に行くことが決まった時、最初は少し嫌だったんです。ロケの出演時間って最初に30秒、次も30秒で、最後に1分で合計2分ぐらい。だから「スタジオがいいなぁ」と思いました。でもそこで開き直って、中継の場面で思っていることをそのまま言ったら、それが良かったみたいですね。ネットでは一部で炎上もしてたけど(笑)。あの中継の後、マネージャーも「仕事の依頼が増えた」と言っていました。

――9年前のように開き直って仕事をしたのが良かった?

【ジョイ】ですね、『しゃべくり』の時みたいに考えすぎないでやった方がいい時もある。もちろん、低迷期の時にテレビでの振る舞い方とか、自分の見せ方を考えたのも身になっています。ただ当時と違うのは、失敗しても「人のせいにしなくなった」点が大きいと思います。

■実力もないのに“できる感”を出していた 「加藤浩次さんに言われて気づかされました」

――ジョイさんにとっては、長期入院したことは無駄ではなかったわけですね。

【ジョイ】あの時に病気になったことは自分の人生にマイナスにはなっていないんです。だって、あのまま続けていたら、“ヤンチャなギャル男”という珍キャラが消費されて、すぐに飽きられてしまっていたと思う。

――休養がなければ、これほど長く芸能界で生き残れなかったと。

【ジョイ】だからある意味、あそこで強制的にストップされて、自分の働き方を見直す機会があったことは良かった。“珍キャラ”押しのタレントは大勢いますが、長続きすることは難しい。やっぱり見慣れちゃいますから。だから、仕事を断る勇気も必要だし、仕事は欲しいけど質の良い仕事をやりたいですね。

――まだまだ仕事での悩みは多いですか?

【ジョイ】堺正章先生と仲良くさせてもらっていて、以前、堺先生の家で飲んでいた時に「仕事がなくなることの不安」など、その時の悩みを聞いて頂きました。大先輩の堺先生のところには、他の先輩方も仕事の相談をされる事があるみたいで、先輩の方たちが悩んでるくらいだから、俺なんてもっと頑張っていかなきゃって思いましたよ。

――ほかに先輩からの言葉で印象に残っているのは?

【ジョイ】自分に実力がないのに、“できる感じ”を出そうとしちゃう時とかあったんですよ。結構そういう人は多いと思いますけど、そんな時に加藤(浩次)さんから聞いた「一生懸命は人の心を打つ」っていう言葉はすごく大事にしています。シンプルな言葉だけど、「頑張ってる姿を人は応援したくなるから」と言われ、一個一個ちゃんと一生懸命仕事をやるようになりました。本当に影響を与えてもらった人ですね。

浜田和幸でした。