浜田和幸のブログ|何も変わらない毎日に疲れたあなたを癒したい浜田和幸プレゼンツ

浜田和幸が話題のニュースを取り上げてつぶやいています。

浜田和幸、新メインMCに林美沙希アナ 10月からテレ朝の“夕方の顔”に

浜田和幸です。

テレビ朝日美沙希アナウンサーが、同局の夕方の情報番組「スーパーJチャンネル」(月~金曜午後4時50分)のメインMCを10月から担当することが分かった。同番組の渡辺宜嗣キャスターと共に番組を進行する。

浜田和幸

 林アナは愛知県出身、明治大学卒業後、2013年入社。現在は「あいつ今何してる?」「サンデーステーション」のフィールドリポーターを務め、「スーパーJチャンネル」には16年4月からサブMCとして出演している。

 林アナは「報道番組に携わって5年目です。まだ足りないところも多いですが、これまでにさまざまな事件や事故、被災地などの“現場”を取材し、現場にはたくさんの思いがあることを学んできました。その経験を基に“現場”と“スタジオ”、“視聴者”を近付けられるよう一つ一つのニュースに向き合ってまいります。そして、ニュースを通して『喜怒哀楽』をスタジオで伝えていきたいと思っています。皆様、どうぞよろしくお願いいたします」と意気込みを語っている。

 タッグを組む渡辺キャスターは「番組に加わってくれてからの林美沙希アナの成長ぶりは、目を見張るものがあります。何よりニュースに立ち向かうその真摯(しんし)な姿勢です。優しさを大切に、のびのびと、そして大胆にニュースの伝え手としてチャレンジしてほしいと思っています。困った時は、お父さんがフォローします」と期待を寄せている。

 

浜田和幸でした。

浜田和幸、葉月里緒奈が3度目の結婚、大邸宅で二世帯生活開始

浜田和幸です。

女優の葉月里緒奈(43才)が3度目の結婚をしていたことが判明。新しい夫とともにデートをする様子をキャッチした。

「この前、彼女と会った時、新しい旦那さんのことでのろけてて。“今までは愛よりおカネだと思ってたけどやっぱり愛ね”って言ってました」

 友人にこんな生々しい“結婚報告”をしたのは、葉月。めっきりメディア露出が減ったが、「魔性の女」っぷりは健在だった。

 葉月は、20才の時に真田広之(57才)と不倫関係に陥り「恋愛相手に奥さんがいても平気です」と豪語。その後もイチロー(44才)や岡村隆史(48才)らと浮名を流し、1998年にハワイ在住の寿司職人と結婚したが、わずか2か月で離婚し世間を騒がせた。2004年に不動産会社の御曹司と再婚し、長女を出産。今度こそ安定した家庭を築くと思われたが…。

「その彼とも2011年頃に離婚しました。驚くことに離婚後も一緒に生活をする“同居離婚”を続け、その間、ジュエリー販売業を営む男性と交際していたことも発覚したのです。しかし、その男性とも破局しました」

 奔放な恋愛を続ける彼女がこの6月、3度目の結婚に踏み切ったという。お相手はこれまで挙がった男性の中にはいない、全くの“新人”だった。

浜田和幸

 

 8月下旬の深夜、東京・恵比寿に、仕立てのよいスーツを着こなす中年男性と歩く葉月の姿があった。ほろ酔いのふたりは、タクシーに仲よく乗り込み、向かった先は都内の閑静な住宅街。車から降りると男性がそっと葉月の腰に手を回し、葉月はしなだれかかるように身を預ける。手をつないで歩き始め、人気のない路地に差し掛かったところでキスを交わし、一戸建てに入っていった。

 この男性こそ、葉月の3人目の夫である。

「50代前半の大手不動産デベロッパーの幹部です。今年の2月頃に知人の紹介で知り合い、一気に盛り上がって4か月でのスピード婚だと聞いています。彼女は“今回の相手はサラリーマンだし、おカネ目当てじゃない”と言っていますが、彼は昭和の著名作詞家を祖父に持ち、周辺でもひときわ大きな邸宅に住んでいます。会社では役員候補らしいので、“やっぱりカネじゃん”って(笑い)」

 その大邸宅で夫の両親と二世帯住宅生活をスタートさせたという。気になるのは中学2年生になる長女の存在。葉月が親権を持つが、同居離婚中も変わらず前夫の元で暮らしてきた。葉月に代わって姑がこう言う。

「料理も上手でお話も面白くて、本当にいいかたと結婚したと思っています。葉月さんの娘さんは今は一緒に住んでいませんが、しょっちゅう来ています。私は孫ができて嬉しい限りです」

 今度こそ、おカネも愛もある理想な結婚となったか。

浜田和幸でした。

浜田和幸、ウエンツ 語っていたリセット

浜田和幸です。

タレントのウエンツ瑛士(32)が、舞台の勉強のため10月から英国・ロンドンに留学し、9月末から芸能活動を一時休止することを28日、日本テレビ系『火曜サプライズ』や自身の公式サイトで発表した。
 突然の発表で日本中が驚きに包まれたが、ORICON NEWSはちょうど1年前にウエンツにインタビューを行い、「一度リセットしてみるのもいいかな」「自分のために働けるのは、今しかない」という言葉を聞いていた。

ここで改めて、1年前のウエンツのインタビューを再掲する。
その言葉の裏にあるウエンツの思いをぜひ感じ取っていただきたい。

◆上手く回る仕事のサイクル、「これでいいのかな?」という気持ちも

――現在はバラエティーが主体のように見えますが、ご自身では仕事のバランスをどう考えていますか?

【ウエンツ】今はコンスタントにお仕事をいただけているので、バラエティーが多くなっていますが、
突然なくなることもあり得ますからね。

自分で配分を意識しなくても、その時々の流れで変わっていくものだと思っています。

ただ、これ以上バラエティーを増やすと、他のことをする時間はなくなってしまうかな、
という気もしています。

僕は毎日が楽しくないとイヤなので(笑)、
そういう意味でも余白は大事なんです。いろんなことをやってみたいのと、
例えば『火曜サプライズ』などで様々な方と交流していくうちに、
僕自身が変化していくというのが重要といいますか。

――映画『禅と骨』(昨年9月公開)では、日系アメリカ人の禅僧、ヘンリ・ミトワさんを演じています。

【ウエンツ】監督いわく、「時代は違えど血筋が似ているから、
たとえば他人からの視線に感じることなど、2人に通じるものがあるかもしれない」と。頭で考えずに自然にやってほしい、という感じでしたね。

――映画出演は約4年ぶりになりますが、現場はいかがでしたか?

【ウエンツ】久々に、モノ作りの現場は体感させてもらいました。
自分の仕事のサイクルにはない異物が入ってきた感じで、よくも悪くも歯車がズレた感覚で、
逆にその刺激がおもしろかった。

自分のサイクルが上手く回っているのも好きだし、ありがたいんですけれど、
不思議なもので「これでいいのかな?」という気持ちも出てくる。

メンドクサイですよねぇ(笑)。作品へ向けられた熱量がとにかくすごくて、
生活のために働くというよりは「作りたいから作るんだ」という気持ちが伝わってきて、
いろいろと刺激になりました。

◆将来結婚するのであれば「自分のために働けるのは、今しかない」

――現状に満足して楽しんではいるけれど、大胆な冒険もしたい?

【ウエンツ】僕は今年32歳になるんですけれど、一度リセットしてみるのもいいかなという気持ちもあります。出来上がったら出来上がったで、壊したくなるんでしょうかね(笑)。

これまでは流れに乗って仕事をしてきた部分もあり、自分から「こういうことがやりたい」と
意思表示をしてやってきたわけではないんです。それに、
地元の友だちはみんな結婚していて、自分というよりは家族のために働く段階に来ている。

もし、将来自分も結婚するのであれば、自分のために働けるのは、今しかないんですよね。

――破壊するなら今だと。

【ウエンツ】いや、破壊しなくてもいいのかもしれないですけど(笑)。

今後も芸能界でやっていくとして、人と違う視点や感覚を持つために、
もう一度やり直すのもありなんじゃないかなと思うんです。

タレントは2回売れなきゃいけない、と言われるじゃないですか。

まず一度、名前が広く知られて、落ち着いてきたところでもう一回ブレイク…という。

自然と落ち着く場合もあると思いますが、自分で落としてみるのも手というか。

◆「例えば中居正広さんみたいに…」何かに寄っていくことへの疑問

――子どもの頃から『天才てれびくん』(NHK教育)などで活躍されてきましたが、キャリアが長いからこその変化なのでしょうか。

 

浜田和幸

【ウエンツ】僕が思うに、早くから仕事をしている分、
人よりも早く収入を得ていたからじゃないかなと(笑)。

人生について考える前に、すでに仕事を始めていましたから。

自分を磨きたいなんて言いつつ、チャレンジして失敗してもいいという気持ちがあるのも、

そのせいかもしれない。あと、年々、誰かに近づいていると捉えられるのも、あまり好きじゃないんです。

――先輩方の道を追っていく感じが?

【ウエンツ】おこがましいですけれど、例えば中居正広さんみたいに…という感じで、
活躍してらっしゃる方と同じ方向に進んでいるというか。すごくありがたいんですよ。

でも、自分は人と違うところを目指して芸能界に入ったつもりだったのに、結局なにかに寄っていっている。
自分らしくいたいという考えを快く思わない人もいるだろうし、
もしかしたら仕事も減るかもしれない。でも自分としては、
同じような技術を得るよりは、思うようにやっていって、結果的に身についたもので勝負したいんです。

――『禅と骨』のヘンリさんもそんな感じですよね。

【ウエンツ】そうそう! ヘンリさんは家族を巻き込みつつ、一緒に幸せにするぞという度胸や根性が据わっている。そもそも僕なんて、奥さんも子供もいない。何も背負っていないですから、今は好きなようにできるんです(笑)。

――ウエンツさんの30代、何があるかわからないですね。

【ウエンツ】いや、そう来られると「はい!」とは言いにくいんですけど(笑)。

 

 ウエンツは幼少期からモデルとして活動し、1995年からNHK教育(当時)の『天才てれびくん』に5年間レギュラー出演。バラエティーで活躍するほか、俳優として映画『ゲゲゲの鬼太郎』(2007)の主演を務め、小池徹平とのユニットWaTでは歌手として2005年にNHK紅白歌合戦にも出場した。現在は日本テレビ系『火曜サプライズ』やテレビ朝日系『世界が驚いたニッポン! スゴ~イデスネ!!視察団』などにレギュラー出演中。

浜田和幸でした。

浜田和幸、小出恵介 再出発向け渡米決断!NY俳優学校留学で復活目指す

浜田和幸です。

「小出さんがニューヨークのアクターズスクールへ留学することを考えているそうです」と話すのは、小出恵介(34)から留学相談を受けている芸能関係者だ。
小出といえば、6月に所属事務所「アミューズ」との専属契約が終了。その後、個人事務所が5億円の負債を抱えて“倒産”していたことも明らかとなっていた。あれから3カ月。表舞台から姿を消していた小出だが、ここへきて米国留学情報が飛び込んできたのだ。

「小出さんは、アメリカのドラマやハリウッド映画に興味を示しているそうです。実際、今年に入ってから自分で資料まで作って渡米しています。いろんな人に相談しているとも聞きました」(前出・芸能関係者)
浜田和幸
もともと帰国子女で、海外作品への憧れも公言していた小出。本誌は彼の再出発について取材すべく、東京近郊にある小出の実家を訪ねた。だが小出の両親は不在。すると後日、小出の代理人弁護士から連絡が。留学について問い合わせたところ、弁護士はこう答えた。

「私が聞いたところによると、お調べのとおり渡米準備をしています。ただ、場所については具体的に聞いていません。いろいろ検討している段階でしょう。今後は、アメリカでの活動を考えています。時期ですが、近くということで手続きを進めております。あちらで活動するにあたって学校へ通うこともあると思いますが、生活場所が決まっていないので具体的な入学手続きはまだしていないと思います」

弁護士も認めた小出の渡米修行計画。だが日本で実績があるとはいえ、米国では無名。本当に活躍できるのか。ハリウッド事情に詳しい芸能関係者はこう語る。

「日本人がハリウッドで役者をやる場合、まず身長が問題になってきます。小出さんは175センチとのことですが、これはアメリカだと低いとみなされます。となると、演じられる役にも制限が出てくるのです。ただ、過去には身長が低くても主演に起用されたケースもあります。つまり、演技力でカバーすることも可能ということです。今後はまず語学力を磨くことが必要。そのかたらわら、オーディションを受ける日々が続くでしょう」

心機一転、アメリカでの俳優復活を目指す小出。ピンチをチャンスに変え、ハリウッドデビューを果たせるのだろうか!?

 

浜田和幸でした。

浜田和幸、 小倉優子、再婚へ! 超人気ママタレはプライベートも充実

浜田和幸

 

浜田和幸です。

小倉優子、再婚へ! 超人気ママタレはプライベートも充実

 

8月下旬、保育施設に子どもの迎えに現れた小倉。この時小倉の車を運転していたのは新恋人の男性だった

24時間テレビ41 愛は地球を救う』(日本テレビ系)で、ブラインドダンスに挑戦し、話題を呼ぶなど、いまやママタレとして大活躍のタレント・小倉優子(34)。

 

浜田和幸

 11年にヘアメークアーティストの男性と結婚したものの、結婚生活は6年しか続かず、17年に離婚。その後は二人の男児の子育てをしながら、レシピ本をヒットさせるなど、カリスマ主婦として、バラエティ番組やイベントに引っ張りダコである。そんな彼女だが、ついにプライベートでも再び幸せが訪れようとしている。

 

 8月下旬の夜、西麻布(港区)の家庭料理店から、小倉が2歳になる次男を抱きながら姿を現した。そのすぐ隣でイケメン男性が小倉の長男を肩車している。小倉が何か話しかけるたびに、彼も笑顔で答え、小倉もニッコリ笑顔を返す。彼の肩の上では長男がキャッキャとハシャいでいる。絵にかいたような幸せな家族の光景である。

 

 現在、小倉はこの男性と真剣交際中で、なんとゴールイン間近なのだという。

 

「今年に入り、二人は共通の知人を通じて知り合ったんですが、交際が始まったのは、2か月ほど前くらいです。相手のAさんは歯科医師で、現在、都内でデンタルクリニックを開業しています。有名私大の歯学部を卒業した爽やかなイケメンで、親切な診療態度が近所でも評判のようです」(二人を知る共通の友人)

 

 現在、彼は頻繁に小倉の自宅を訪れており、彼女の二人の子供もすっかり彼になついているようで、小倉もこのほど彼との結婚を決意したのだという。

 

 年内にもゴールインとなるか!?

 

 8月31日(金)発売のFRIDAYでは、二人の関係について詳しく報じ、小倉と彼のツーショット写真を掲載する

 

 

浜田和幸でした。

浜田和幸☆一夜限りで復活したポケットビスケッツ=日本武道館(デイリースポーツ) ポケビ18年ぶり復活!

浜田和幸です。

1995年から2000年まで活動した音楽ユニット「ポケットビスケッツ」が25日、日本テレビ系「24時間テレビ41」(25日後6・30~26日後8・54)で一夜限りの復活を果たした。チャリティーランナーを務めるお笑いコンビ「ANZEN漫才」のみやぞん(33)がトライアスロン最終種目の100キロマラソンに臨む前に「YELLOW YELLOW HAPPY」を生披露した。

 「ポケットビスケッツ」は同局のバラエティー「ウッチャンナンチャンウリナリ!!」(96~02年)から誕生した3人組音楽ユニット。タレント千秋(46)がボーカルを務め、ウッチャンナンチャン内村光良(54)とキャイ~ンのウド鈴木(48)と組み、95年から00年まで活動した。「YELLOW YELLOW HAPPY」「Red Angel」がミリオンヒット。タレントのビビアン・スー(43)、ウッチャンナンチャン南原清隆(53)、キャイ~ンの天野ひろゆき(48)が組んだ「ブラックビスケッツ」との対決が注目を浴びた。

 武道館に「ポケットビスケッツ」が登場すると拍手と歓声が起こり、3人は「YELLOW YELLOW HAPPY」を生演奏。「TERU」こと内村は間奏でキーボードソロを披露するなどノリノリだった。
浜田和幸
 24時間テレビのスペシャルサポーターを務める南原は、相方の突然の登場にビックリ。「どうしたの!?なんで連絡くれなかったの」と反応すると、内村は「お勤めご苦労さんです!すいません。『いきものがかり』じゃなくて」と返して笑いを誘った。千秋は「みんなが揃うの20年ぶりくらいでしたけど、大丈夫でした。相変わらずウドちゃんはポンコツでした」とメンバーをいじっていた。

 みやぞんの100キロ長距離走のスタート後には「POWER」を演奏。史上初のトライアスロンに挑んでいるみやぞんに歌でエールを送った。

 

 

浜田和幸でした。

浜田和幸、元フジ牧原アナ、寄席芸人に転身!? 定年退職後の初仕事は寄席でのマジックだった

浜田和幸です。

7月末でフジテレビを定年退職した牧原俊幸アナウンサー(60)が寄席芸人デビューを果たした。浅草演芸ホール8月下席・昼の部(30日まで)に出演しマジックを披露。退職後の意外な初仕事となった。

 

寄席を沸かせた!トークを交えマジック披露
 初出演となった21日に続き、2度目の出番となった23日、めくりで「マッキー牧原」の文字が出ると、客席から「待ってました!」の声がかかった。ちょうネクタイに紫のタキシード姿の牧原アナは、あいさつ代わりに無言でマジックを披露。一呼吸置いて、マイクを持ち「このたび、フジテレビを定年退職しました」と報告すると、満員の会場からはどよめきが起こった。「とんねるずのみなさんのおかげでした」の「食わず嫌い王選手権」での名ナレーション「実食です!」を“実演”すると会場からは割れんばかりの拍手が…。その後はアナウンサーらしく、軽快なトークを交えマジックを繰り広げた。

浜田和幸

 寄席デビューに「気持ちよかったです。ほどよい広さでやりやすいし、お客さんも集中してみてくれました」と笑顔で語った。小学生の頃から手品ネタを買い求め、フジテレビ在籍時代から番組内でマジックを披露するなど、手品好きで知られる牧原アナだが、ひょんなことから寄席デビューが決まった。

元フジ牧原アナ、寄席芸人に転身!? 定年退職後の初仕事は寄席でのマジックだった
マジックを披露する牧原俊幸アナ
桂竹丸の誘いで実現 念願の舞台だった
 今回のトリを務める落語家・桂竹丸(61)の存在だ。早大の「寄席演芸研究会」に所属していた牧原アナは、駒大の“落研”「落語くらぶ」で活動していた竹丸と大学時代から親交が深く、竹丸からオファーを受けた。竹丸は「牧原さんから『7月でフジテレビを辞める』と連絡をもらって…。(今後は)『何も決まっていないけど、フリーの立場でアナウンサーをやっていきます』と言うので、『じゃあ(寄席に)出てよ』って。ちょうどその頃、寄席の“顔付け”(出演メンバーや順番を決めること)をやるころだったので」。寄席は通常は協会員しか出ることが出来ないが、トリの落語家が希望するゲスト枠での出演が決まった。浜田和幸でした。